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『歌詠み』
「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」 藤原清輔朝臣
この先もっと長く生きていれば 辛いと思っている 今この時も
また懐かしく 思い出されてくるのだろうか
辛く苦しいと思っていた 昔の日々も
今となっては 恋しく思い出されるのだから -
他所に書いた夜咄は暇を見て こちらに徐々に戻して行きます
覚えがあるかも知れませんがご容赦くださいね -
matさんおはようございます
さすがに まっちゃんの効果てき面で
お客様の予想以上の来客にびくっらぽんです
ありがとうございます -
和敬さん。 千客万来で岩戸を開ける踊り子登場で 幸先の良いスタートですね。
最初の客の面目たって 嬉しいです。 お話続けてください。 -
おはようございます(⌒‐⌒)
始めましての方もいらっしゃる~
ウズメと申します。
うっちーと呼んでくださいませ~
和敬さん
見つけちゃいました~
タマにお邪魔しに来ますので
ヨロシクお願いします( ̄▽ ̄)ゞ -
おはようございます
昨夜のご来訪恐れ入ります
亭主がいなくてもゆるりとお過ごしください
と 言っても客人がまだ少なすぎますね( ´艸`)
沙羅双樹と言えば 記憶は定かでないが京都の詩仙堂かも
たしか 大きな夏椿が生えていたような気がします
平家物語の出だしが自然と蘇りますよ -
>ふるさとは浅茅がすえになりはてて月に残れる人の面影(藤原良経)
おいらの故郷は昔とすっかり変わってしまったが
今宵 見ている月とちっとも変わらないであります
そこには懐かしい人の面影が 今でも浮かんで見えます
こんな感じで詠んでるのかもね
体言止めはキレが(・∀・)イイネ!! -
akaさん
はじめまして 宜しくお願い致します
G3でお見かけしたような気がしますが( ^ω^)・・・
真夜中のお越しいただきありがとうございます
すでに おいらは爆睡あるいはそのまま永眠の最中です( ´艸`)
忘れていた昔の思い出は何かの拍子で蘇ってきますよね
それが花だったり歌だったり人それぞれ琴線は違いますが物悲しかったりします
諸行無常ではありますが 懐かしい想いを馳せながら
穏やかに平安の時代の機微をもって過ごしたいものです
間も無く場中となりますから 失礼いたしますが
どうぞ お暇が出来ましたら またいらしてくださいね -
こんばんは、はじめまして。
椿の花に誘われました。
私の場合は、椿の花で、思い浮かべるのは、
雪の降らない温暖な土地の、
冬の日差しの中で墓を守って咲いている風景です。
幼少の頃、先祖代々の墓を掃除した時の記憶なのですが、
今は、もはや受け継がれることもない墓は永代供養の墓に移設され、
荒れ果てた旧墓所の椿がどうなっているかは、
風の便りに聞くこともなくなりました。
ふるさとは浅茅がすえになりはてて月に残れる人の面影(藤原良経) -
椿の花は 蕾を生けるのがよろしいかと思います
茶道では 野にあるままが基本ではありますが かなり気を使います
以前 小屋に乗せたカットを参考にしていただけると嬉しいです
ゴメン 寝ます明日また お待ちしております -
『歌詠み』
「心から心に物を思はせて身を苦しむる我が身なりけり」西行法師
それは私くらいの程度の凡人でも実感出来るのだが
凡人の悲しさは 歌う才(形を創る才)のない事であります
おいらがそれを知った時は 時すでにおそかたのです
自意識に蝕まれた私のこれまでは 陰惨な喜劇としか言い他はないのです -
丁寧なお返事ありがとうございます。
今朝 椿がほしくて 少し出歩いたので・・・ 葉の緑はつややかで 花びら近くまで覆い
どの花器にも合わせやすく風情があり 落とす葉一枚で表情が変わる有難い花材です。
友人宅に 雪椿の大木が有り 雪が降った後にこぼれた花と 枝に残る赤と緑と白い雪が息をのむ美しさでした。
最後見送られるときが冬ならば 雪椿で覆われたいと思いました。
その大木も倒され 高崎のお店ももうありませんが しみじみと思い出して書きました。
ゆっくりお休みください。 -
今晩は
お越しいただきありがとうございます
今日の夜咄一番乗りですねぇ 本日の正客でございます
嬉しい限りです
訳 有って自分の部屋を造りました
ここなら自分の思い通りの夜咄が出来るのではないかと思った次第です
晩酌も済みほろ酔いではありませんが 美魔女とお話しさせて戴けるとは思ってもみませんでした
自分の考えを他のスレッドに書き込むとよろしく思わない方もいらっしゃるので
試しに始めました
茶道を曲がりなりにもやっておりますと人の気持ちが読めてしま事が多々あります
それゆえリアルな三畳台目を造る前に試しに始めました
どうなる事やら皆目見当が付きませんが宜しくお願い致します
新潟の雪椿の話は思い浮かべるだけでも素敵ですね是非とも体感したいものです
必ずや 地元の清酒「赤城山」持参で伺いとうございます
前にも申した通りデラシネの茶人ですので号は有っても地元で知る人は可成り少ないのです
よってお付き合いは皆無と言っても中らずと雖も遠からずです
そんな事は如何でも良いことですがね 孤高の茶摺人が性に合ってます
高崎は縁が無くて訪れたことは少ないです 然も飲んだ記憶もありませんね
お知り合いのお店があるのですね
ネットで知り合えないとこんな話とか情報は知り得ませんね 面白いものが出来ましたね
既に酩酊状態は制御不能ですが正客さんには礼を尽くさねばと頑張っております -
まだお話は続くでしょうが 初お客が女性だと繁盛するとこの辺の人は言いますから。
女のはしくれに入れてもらって お邪魔します。
新潟の雪椿は 真冬の雪が積もる中 赤い花を咲かせてけなげです。
和敬さんは高崎でお飲みになったことはありますか? そういえば母のいとこがお店をしていましたので。 -
詳しく解読すると
椿は花の散り方が 首が落ちるようだといって嫌う説がありました
椿がなぜ吉祥かと不思議に思われる方も多いと思います
しかし、長い歴史の中では 椿は必ずしも不吉な木ではありませんでした
松や杉に代表されるように 冬も枯れない常緑樹の多くは神聖視されて
神社仏閣の御神木としても尊ばれてきました
椿も常緑であり 雪の中でも花を咲かせる吉祥の木だったのです
実用面からも 種から油が取れることから大切にされました
さらに 古代中国の老荘思想で有名な『荘子』に「大椿という木があり、八千年を春として八千年を秋とする」
という 寿命の長い大木の伝説が記されています
『荘子』は中世日本の知識階級ではよく読まれ 随筆や和歌などの文学に影響を与えた書物ですが
中国で「椿」と表現されるのはセンダンという木の仲間で 日本のツバキとは別種になりますが
日本ではこの「大椿」がツバキとみなされ長寿の象徴とされたのです -
『花読み』
利休が愛した椿の話はいろいろあるが・・・
椿といえば現代では「首が落ちる」不吉な花として知られておりますね
漢籍(漢文で書かれたものは漢籍と総称される)などには大椿という伝説もあります
八千年を春とし八千年を秋とする
つまり三万二千年に一度だけ花を咲かせる大きな美しい椿の木です
平安時代は椿といえば この伝説から長寿を祝う歌に詠まれていることがたくさんあります -
『歌詠み』
「惑ひきて 悟り得べくも なかりつる 心を知るは 心なりけり」 西行法師
意訳はこんな感じかなぁ~
おいらはこれまで幾度となく 惑いながら生きてきたのだが
悟ることも 成得することも出来ない
おいらの心を知っているのは おいらの心だけである
人は死が訪れる最後の時まで 主観性(自分勝手な考え)を脱ぎ去る事は出来ないのであろうが
それでも躍起になって そうすることは 無意味ではないが
そんなことは解ってるが おいらの心のレベルがどの程度なのかは
おいらの心が一番良く知っているしなぁ~ -
『人読み』
信頼できる人とは 言ってる事とやっている事に矛盾が無い人
言動が一致しているかどうか良く見てから 心を許すようにするのが傷つかない為のコツ
*そんな人って居るのかいな?
口先やメールなんかは都合の良いセリフ簡単に言えるから
悪い人ほど 口先達者で優しく感じさせるから
*ゲゲッー おいらの事かい( ´艸`) -
『恋読み』
古今和歌集には恋歌を収めた巻が五巻あります
巻が進むとに詠まれる恋の内容も変わっていく様になっています
一巻目は「初めたる恋」二巻目が「いや増さる恋」三巻目が「初めて逢ふ」四巻目が「逢ひて後」
そして五巻目が「失恋」です
恋の始まりから終わりまで網羅してます -
和敬清寂(わけいせいじゃく)]
「和(わ)」とは お互いに心を開いて仲良くするということです
「敬(けい)」とは 尊敬(そんけい)の敬で お互いに敬(うやま)いあうという意味です
「清(せい)」とは 清(きよ)らかという意味ですが 目に見えるだけの清らかさではなく
心の中も清らかである ということです
「寂(じゃく)」とは どんなときにも動じない心です
この「和敬清寂」という言葉の精神を忘れずに語り会いましょう
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