株・カフェの掲示板
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>>177
ズイキさん 知らぬこととはいえ 失礼いたしました。
人には、色々歴史がありますもの。大変でしたね。
姉は19年生まれで戦時中で、防空壕へ入るのを嫌がったと
母に聞いたことがあります。
今の八尾は、有名になりすぎてすごい人です。
一度は、地元の有志宅へ泊めて戴きました。(市会議員の父上宅)
料亭みたいな きれいなお宅でした。
あのお寺の境内で、友人6人でお弁当を食べました。
その時、知らない家の中のテレビが見えて
「阪神勝っていますか」尋ねたら「上がって休んでいきなさい」と
おトイレを、みんなでお借りして お茶やビール迄ごちそうになり
2回目の時、そのお宅に泊めて戴きました。
そこには11回も、関東の方から来られる方がいるそうでした。
そうそう、「明日は河野太郎のお父さん(国会議員)が来られる」と
今も時々、お手紙交流しています。
私には、とっても素敵な思い出でした。
来月行く秋田も、15年来のネットの友人が案内してくれます。
岩手の北上や、盛岡、仙台の方たちです。
親類のように、お付き合いさせてもらっています。
ご夫婦の方もいますよ。
これから義母とお昼を食べ、夕飯の用意をして
卓球とヨガ、サウナに12分だけ入って 自転車で15分
一人で、がつがつ夕飯をたべるのです。
露草
zuikijp 2019年7月31日 09:22
露草さん、八尾はごめんです。
私は戦時中学童疎開で一年半八尾のお寺にいました。両親から離れて近所の子供達と一緒でしたが、国民学校四年生から六年生だけの生活でした。現在『風の盆』で通るあの道に面したお寺さんでしたが、当時はそんな行事もなく、あの道を上に歩いてお風呂に行ったことを覚えています。冬は寒く風呂から帰ってくる間に、濡れていた手ぬぐいが凍りついていた事もよく覚えています。そんなもので『八尾』はもう沢山です。
夕顔は夕方から開き、翌朝には萎んでしまいます。夜あの大きな白い花が目の前で開いている姿が大好きです。