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>>548

分厚い火山灰に覆われた須走地区

宝永噴火は300年余り前の江戸時代中期、1707年12月16日から富士山の南東の中腹で始まった大噴火で、翌年の1月1日まで続きました。

古文書などで最も被害が大きかったとされるのが宝永火口から10キロほど離れたふもとの須走村で、現在の静岡県小山町須走地区にあたります。

須走村は、富士山への登山道の入り口にある「冨士浅間神社」とその門前に広がる村でした。

古文書の記録では、死者はいなかったものの高温の噴出物による火災で37棟の家屋が焼失し、3m以上積もった噴出物の重みやたび重なる地震で、焼失を免れた残りの39棟もすべて倒壊したとされています。

村全体が分厚い火山灰に覆われたことからほとんど除去されず、その上に新たな町を復興したため、埋没した家屋は見つけられることなく言い伝えとなっていました。

富士山では過去の発生周期などから将来的に噴火する可能性は高いとみられ、最後に起きた宝永噴火による被害の様相を明らかにすることは今後の防災を考えるうえでも重要で、今回の家屋の発見は注目されます。

小山町須走地区にある「冨士浅間神社」の石橋良弘神主は「昔から言い伝えで、地面の下には噴火で埋まった町があると聞いていて、本当なのかとずっと思っていましたが、今回の調査で科学的に実証されて、うれしく思う。集落を埋めた火山灰の上に新たな町をつくることで富士山噴火の脅威に立ち向かったことも昔の人たちの知恵なので、教訓として大切にしたい」と話していました。

NHK

  • >>549

    300年余前の富士山噴火で埋もれた家屋 発掘調査で初確認 静岡
    2020年7月5日 19時35分
    300年余り前に富士山で起きた宝永噴火について新たな発見です。噴火による火山灰で集落全体が埋まったとされている静岡県小山町の須走地区で、当時の家屋の一部が初めて見つかりました。黒く焼け焦げていたことなどから高温の軽石によって燃えた可能性が高く、専門家は「富士山の噴火対策を考えるうえで重要な発見だ」としています。

    富士山のふもと、静岡県小山町の須走地区には江戸時代に須走村の集落がありましたが、1707年に発生した宝永噴火で火山灰が3mほど降り積もって埋没したとされています

    さらに現在はその上に街が作られているため、須走村の集落が埋まった記録は古文書などに残されるだけで、実際に家屋が見つかったことはありませんでした

    火口近くにあった須走村の集落がどのような被害を受けたのか明らかにしようと、去年6月、小山町と、考古学や火山の専門家で作る研究チームが初めての発掘調査を行いました

    調査は初めは重機で行われ、20センチ余り掘ると、宝永噴火で噴出した火山灰や軽石などの層が出てきました

    さらに人の手も使って掘り進めると、2mほどの深さの場所に
    ▽家屋の「柱」とみられる2本の四角い木材のほか
    ▽家屋の「壁」や「わらぶき屋根」の一部が、次々と見つかりました。

    宝永噴火で埋もれた須走村の家屋が見つかるのは今回が初めてです。

    さらに、こうした木材は黒く焼け焦げていたうえ、内部が赤くなった軽石も見つかったことから、研究チームは、噴火で飛んできた高温の軽石によって家屋が燃えた可能性が高いとみています。

    今後、研究チームは、家屋が噴火のどの段階で、どのように燃えたのかなど、検証を進めていくことにしています。

    調査に参加した小山町教育委員会の金子節郎さんは「燃えた柱が出てきた時には震えるほどの興奮があり、これまで古文書しかなかった村の歴史について実際に裏付けがとれたのは大きな成果だ。発掘で分かったことを今後の防災に生かしていくとともに、今後もこまめな調査を行って遺跡を大事に保存していきたい」と話していました。

    研究チームのリーダー、東京大学の杉山浩平特任研究員は「富士山の噴火で住宅が燃えたことが実証され、噴火対策を考えるうえで重要な手がかりになる」と話していました。NHK