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>>146

【蕭何】と【石田三成】

司馬遷は史記の蕭相国世家にて、「蕭何は秦の時代では小吏にすぎず、平凡で優れた能力はなかった。漢がおこると高祖(劉邦)の余光に頼り、留守の役をつとめ秦の憎悪を利用して、新しい時代を作った。韓信・英布が粛清されたが、蕭何の勲功は光輝き、地位は群臣の上に置かれ、名声は後世まで流れ、閎夭・散宜生と言った周王朝の功臣達と功績を争うようになった」と評している。

秦の時代では用いられなかった蕭何の才能が発揮できたのは劉邦の懐の深さでも有りますが、

蕭何の役割は本当に多かったと思います。
蕭何は誰よりも権限が大きく、民政・税政と糧食補給を任されたが
一度も民に恨まれることはなかった。

劉邦の度重なる遠征でも食料物資の調達は途切れることが無かったと言われています。

その辺りが項羽が食料尽きて引き返していた点との違いですね。

で。私も蕭何も大好きですが

実は「関ケ原」という本が好きなのも

多分蕭何になぞらえなくても司馬さんは三成が好きだったと思います。

三成は本拠地・・佐和山でも統治能力に優れていました。
三成の役割はきめ細やかな兵糧、物資を届ける役目。
小田原城の包囲戦で勝てたのも、朝鮮出兵出来たのも全て三成の手腕に寄るところが大きい。

石田三成も義に厚い爽やかな大人物であったことは、関ヶ原の合戦の西軍に大谷吉継が参加していること(ハンセン病もしくは梅毒を患っていた吉継の顔面からこぼれた膿の入ったお茶を、膿ごと茶を飲み干し、美味しいので全部飲んでしまったからもう一杯茶を注いでほしい、と言った)。
島左近を召し抱えるにも自分の知行の半分を与えるなどして召し抱えています。石田三成も大谷吉継も、真実、武士だったのだ、と思います。
歴史は勝者が書くものなので実際にはどうだったのか?わかりません。

これも大好きな武将で柳川の立花宗茂・・徳川家康は立花宗茂を非常に警戒していました。一説によると、徳川家康は立花宗茂が西軍に味方しないよう、様々な工作活動を行なっていたとされています。

なので、関ケ原はあの人物があの行為をしなかったら?の推察をするのも楽しい(笑

  • >>147

    堺屋太一さんの【巨いなる企て】ても面白い。

    ビッグプロジェクト、「関が原の戦い」。

    僅か19万石、一介の中堅サラリーマンが
    豊臣会社の副社長たる、255万石徳川家康
    の大勢力に匹敵する勢力を糾合し、
    「天下分け目の戦い」を企画、演出した。

    この視点からの考察も面白かったです(笑

  • >>147

    > 実は「関ケ原」という本が好きなのも
    >
    > 多分蕭何になぞらえなくても司馬さんは三成が好きだったと思います。

    > 石田三成も義に厚い爽やかな大人物であったことは、
    >関ヶ原の合戦の西軍に大谷吉継が参加していること(ハンセン病もしくは梅毒を
    >患っていた吉継の顔面からこぼれた膿の入ったお茶を、膿ごと茶を飲み干し、
    >美味しいので全部飲んでしまったからもう一杯茶を注いでほしい、と言った)。

    「関ヶ原」は全部読みました。
    そのエピソードは「三成説」と「秀吉説」があるようです。
    映像作品としては加藤剛主演の物が素晴らしいんですが、
    スカパーに入ってた時に録画してたのを、
    初期化する必要に迫られて失くしてしまいました。
    (秀吉:宇野重吉 家康:森重久彌 島左近:三船敏郎 大谷刑部:加藤幸治)

    三成の肖像画は如何にも腹黒そうで悪意がありますね(笑)
    (加藤剛を連想させるイケメン風のもありますが)
    一頃よく使われてた「でっぷり太った頭巾の物」は見なくなりましたね。