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株式と投信の両方で生き残るの掲示板

>>122

> 私も龍馬の貿易会社は薩摩の子会社的な感じと思っていました。
>
> だから元々は薩摩の命令で動く貿易商なのに
> 龍馬主導はおかしいと思っていたんですけど。

薩摩は小松帯刀主導で西洋の船を買ってました。
その頃勝海舟の海軍塾が閉鎖になったので、塾生たちの引き受けを海舟が
薩摩に頼んだ。操船技術を持つ人材が欲しかった薩摩としては
ウィン・ウィンの話だった、ということだと思います。
結果として政治工作に龍馬を使えたのは、副産物かもしれませんね。

先の「武器・米バーター取引」の件では、こんな記事を見つけました。
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1865年7月21日。長崎の薩摩藩邸に居た帯刀のもとに、
亀山社中の近藤長次郎に伴われ、長州の伊藤俊輔と井上聞多がやってきます。
用件は、「薩摩名義で武器や艦船を買いたい」というもの。
長州は、幕府の目が厳しい長崎で武器の調達がままならなかったのです。
一方、帯刀は、長州から「米」を贈ってもらうことを条件に、
この申し出を引き受けます。
龍馬を仲立ちとして薩摩と長州の関係が深まって行くのです。
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BSTBSの歴史番組のサイトからです。(「Theナンバー2」)

近藤長次郎は龍馬の代理人なので、この件に龍馬が関わってたのは間違いない
と思います。司馬文学ではこれが「龍馬の構想」になるわけですね。