投稿一覧に戻る ☆せんちめんたる・じゃーにー☆の掲示板 968 周防 久美子 2020年9月10日 02:04 「9月8日は 水上勉の命日 帰雁忌」 福井の水上勉「一滴文庫(いってきぶんこ)」では、毎年10月の第4土曜に「帰雁忌(きがんき)」が行われると書いてあった。今までに一滴文庫には2度ほど行った事があるが、不便なとこにあって車が無いと電車バスでは遠くて時間がかかる。 水上の直木賞「雁の寺」のモデル「相国寺 塔頭・瑞春院(しょうこくじ たっちゅう・ずいしゅんいん)」は相変わらず非公開。誰が持ち主か知らんが「勿体つけて!」と腹が立つ。忘れるぐらい遠い頃に1度行った事があるが、その後、非公開になるとは知らんもん。 私は気づかなかったが、平成20年(2008年)3月に一度公開されたらしく、その時、内部を撮った人が、ネットにアップしてくれていて、ゆっくり見ることが出来る。「何と、ありがたい!」貴重な写真である。 瑞春院は五代将軍、綱吉の側室「お伝の方」の住まいとして建てられたが、昔は何回か火災にあったらしい。私の記憶よりはるかに内部が大きいのでビックリした。私が行った時は、もっと庭が狭いように感じたが、よく見ていなかった。非公開になるのなら、もっとキッチリ見ればよかったと後悔した。毎年、公開はあると思っていたので油断していた。 瑞春院は13歳の水上が修行に入った寺で、この時の体験を「雁の寺」として本にした。あまりにも辛い修行だったため、元々、身体が丈夫でない水上は逃げ出している。その時の襖絵が「雁」と水上は思っていたが、実は当時は「孔雀」の絵だったと、後日本人が述べている。しかしタイトルが「孔雀の寺」では、何となくしっくりこなくて、「雁の寺」としたのではないかと思う。 瑞春院と映画(モノクロ)では、寺の内部が全然違うが、水上は子ども心に、よほど住職を憎んでいたのか、小説では殺している(笑)住職の名前は「慈海(じかい)」水上はこの名前が気に入ったのか「金閣炎上」の和尚にも使っている。 映画では殺した慈海の死体を、他の亡くなった人の上に重ねて棺桶に入れて運んだ。担ぎ手の檀家達は、あまりの重さにヨロヨロして「へぇさんて、こんな重たかったか?」というセリフは今でも笑える。 私が瑞春院に行った時、近くの同志社の学生(男女)数人が、お点前の接待をした。着物の着方が何となくぎこちなく、大股で足早に歩くので 笑ったのを思い出す。 ●一滴文庫 https://itteki.jp/exhibition ●瑞春院 https://kyotomoide.exblog.jp/27981959/ 返信する そう思う0 そう思わない0 開く お気に入りユーザーに登録する 無視ユーザーに登録する 違反報告する ツイート 投稿一覧に戻る
周防 久美子 2020年9月10日 02:04
「9月8日は 水上勉の命日 帰雁忌」
福井の水上勉「一滴文庫(いってきぶんこ)」では、毎年10月の第4土曜に「帰雁忌(きがんき)」が行われると書いてあった。今までに一滴文庫には2度ほど行った事があるが、不便なとこにあって車が無いと電車バスでは遠くて時間がかかる。
水上の直木賞「雁の寺」のモデル「相国寺 塔頭・瑞春院(しょうこくじ たっちゅう・ずいしゅんいん)」は相変わらず非公開。誰が持ち主か知らんが「勿体つけて!」と腹が立つ。忘れるぐらい遠い頃に1度行った事があるが、その後、非公開になるとは知らんもん。
私は気づかなかったが、平成20年(2008年)3月に一度公開されたらしく、その時、内部を撮った人が、ネットにアップしてくれていて、ゆっくり見ることが出来る。「何と、ありがたい!」貴重な写真である。
瑞春院は五代将軍、綱吉の側室「お伝の方」の住まいとして建てられたが、昔は何回か火災にあったらしい。私の記憶よりはるかに内部が大きいのでビックリした。私が行った時は、もっと庭が狭いように感じたが、よく見ていなかった。非公開になるのなら、もっとキッチリ見ればよかったと後悔した。毎年、公開はあると思っていたので油断していた。
瑞春院は13歳の水上が修行に入った寺で、この時の体験を「雁の寺」として本にした。あまりにも辛い修行だったため、元々、身体が丈夫でない水上は逃げ出している。その時の襖絵が「雁」と水上は思っていたが、実は当時は「孔雀」の絵だったと、後日本人が述べている。しかしタイトルが「孔雀の寺」では、何となくしっくりこなくて、「雁の寺」としたのではないかと思う。
瑞春院と映画(モノクロ)では、寺の内部が全然違うが、水上は子ども心に、よほど住職を憎んでいたのか、小説では殺している(笑)住職の名前は「慈海(じかい)」水上はこの名前が気に入ったのか「金閣炎上」の和尚にも使っている。
映画では殺した慈海の死体を、他の亡くなった人の上に重ねて棺桶に入れて運んだ。担ぎ手の檀家達は、あまりの重さにヨロヨロして「へぇさんて、こんな重たかったか?」というセリフは今でも笑える。
私が瑞春院に行った時、近くの同志社の学生(男女)数人が、お点前の接待をした。着物の着方が何となくぎこちなく、大股で足早に歩くので 笑ったのを思い出す。
●一滴文庫
https://itteki.jp/exhibition
●瑞春院
https://kyotomoide.exblog.jp/27981959/