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70歳代のバソコン
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「振袖火事」1月18日
家々で暖部器具を使い、空気が乾燥している冬場は火事が多いですね。家財もちろん、人間が焼け死んだり痛ましいことです。火事はほんとに怖いですね。
 
 昔、江戸では「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるぐらい、火事が多かったようで、なかでも、明暦3年(1657年)1月18日の明暦の大火、いわゆる振袖火事」が有名ですね。
 浅草大増屋の娘「おきく」は本郷の本妙寺で寺小姓風の美少年に一目ぼれしてしまいました。そしてその小姓と同じ振袖を作ってもらい、小姓を思い焦がれていましたが、1655年1月16日に、恋煩いのためにとうとう死んでしまいました。

 大増屋ではその振袖を棺の上にかけて本妙寺に納め、住職は前例に従いその振袖を古着屋に売りました。ところがその翌年の同じ日に、紙商「大松屋」の娘「キノ」の葬儀があり、その同じ振袖が本妙寺に戻ってきました。古着屋でその振袖を買っていたのでしょう。

 そのうえ、更にその翌年にも本郷の麹屋の娘「お花」の葬儀の際にまた、同じようにして本妙寺にその振袖が戻ってきたのです。それも娘はいずれも同じ16歳でした。 (*娘の名前には諸説あり)

 さすがに気味が悪くなった住職は、三人の娘の親の目の前で護摩焚きの火の中に振袖を投げ入れて焼きました。ところがちょうどその時、一陣の竜巻が舞い起こり、振袖は人間の立ち姿のようになって本堂の真上に舞い上がり、本堂は忽ち出火してしまいました。これが有名な明暦3年(1657年)の「振袖火事」で、江戸の大名屋敷はじめ江戸の半分を焼きつくした大火事になりました。その家事はちょうど、おきくの命日の二日あとの1月18日の事でした。
 大蛇になって男を追いかけた安珍・清姫の道成寺の話もあり、とにかく女の情念はすごいですね。オオ、コワ・・

戦中、戦後、町内の隣組で、拍子木を叩いて火の用心の夜警をさせられました。

 ♪マッチ一本火事の元
  芋は焼いても家焼くな・・ 

  一筆啓上、火の用心、おさん泣かすな、馬肥やせ・・

 皆さんも火の元にはくれぐれもご用心ください。

(外人の描いた振り袖火事) しらん

70歳代のバソコン 「振袖火事」1月18日  家々で暖部器具を使い、空気が乾燥している冬場は火事が多いですね。家財もちろん、人間が焼け死んだり痛ましいことです。火事はほんとに怖いですね。    昔、江戸では「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるぐらい、火事が多かったようで、なかでも、明暦3年(1657年)1月18日の明暦の大火、いわゆる振袖火事」が有名ですね。  浅草大増屋の娘「おきく」は本郷の本妙寺で寺小姓風の美少年に一目ぼれしてしまいました。そしてその小姓と同じ振袖を作ってもらい、小姓を思い焦がれていましたが、1655年1月16日に、恋煩いのためにとうとう死んでしまいました。   大増屋ではその振袖を棺の上にかけて本妙寺に納め、住職は前例に従いその振袖を古着屋に売りました。ところがその翌年の同じ日に、紙商「大松屋」の娘「キノ」の葬儀があり、その同じ振袖が本妙寺に戻ってきました。古着屋でその振袖を買っていたのでしょう。   そのうえ、更にその翌年にも本郷の麹屋の娘「お花」の葬儀の際にまた、同じようにして本妙寺にその振袖が戻ってきたのです。それも娘はいずれも同じ16歳でした。 (*娘の名前には諸説あり)   さすがに気味が悪くなった住職は、三人の娘の親の目の前で護摩焚きの火の中に振袖を投げ入れて焼きました。ところがちょうどその時、一陣の竜巻が舞い起こり、振袖は人間の立ち姿のようになって本堂の真上に舞い上がり、本堂は忽ち出火してしまいました。これが有名な明暦3年(1657年)の「振袖火事」で、江戸の大名屋敷はじめ江戸の半分を焼きつくした大火事になりました。その家事はちょうど、おきくの命日の二日あとの1月18日の事でした。  大蛇になって男を追いかけた安珍・清姫の道成寺の話もあり、とにかく女の情念はすごいですね。オオ、コワ・・       戦中、戦後、町内の隣組で、拍子木を叩いて火の用心の夜警をさせられました。   ♪マッチ一本火事の元   芋は焼いても家焼くな・・     一筆啓上、火の用心、おさん泣かすな、馬肥やせ・・   皆さんも火の元にはくれぐれもご用心ください。                                         (外人の描いた振り袖火事)              しらん