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信濃守のガラス部屋から見る為替動向と政治の掲示板

>>359

国道18号線は穂保交差点と赤沼交差点の間でほぼ水没、交差する枝線も水没。
長野市内の千曲川の堤防は今も改修、というより肉厚を増やす工事を村山橋の上流で行っていて、その部分は河川断面が狭まっていたのに氾濫も決壊もしなかった。
川の幅が狭かったという意見も出てますけど、単純にそれだけじゃありません。
千曲川工事では用地買収に強硬反発する地主もいたようで、つまりは堤防を肉厚にしておけば氾濫(越水)はしても決壊はしにくくなる。

上田市での氾濫や鉄道橋落下などでは、河川の流量が増して土砂が川の中央に堆積し、護岸側に流水が寄って流速が速くなり、洗堀して土台を削り、鉄橋の基礎を流したとされています。

ところでネットでさきほど、今回の大災害は田中康夫のせいだとする映像がすでに出ていました。
要は田中時代にダムを中止したからこうなったんだ、ということです。

これはあながち屁理屈や荒唐無稽とも単純にいいきれず、実は田中時代に千曲川上流ダムという国のダム計画が中止になりました。千曲川上流ダムが計画されていた地域にダムができていたら、今回の千曲川の流量は今ほど伸びていなかったと当然想像できます。
まあこれが中止になったのは、半分くらいは田中のせいですけど、最終決定したのは国です。
ただ問題は、千曲川の治水計画はこのダムありきで数字を決めていて、河川改修もすべてダムありきの数字のまま、ダムが中止になった後もです。
じゃあもしダムが中止になっていなかったら?という批判は当然生じるでしょうし、ダムが中止になった後に河川計画をなぜ改めなかったのかという点もおそらく今後出てくるでしょう。

まあそれでも、長野市あたりまで来ればその影響はほぼ無視できます。
本来この辺は、例のトピ初期で活躍していた川もゆる氏あたりに解説をお願いしたいところか。
そういや田中時代の脱ダム宣言で唯一結論が出ていない山ノ内町のダム、その山ノ内町、そして下流の中野市も今回の災害でかなり早い時期に全地域避難勧告が出ました。一県民んと呼ばれた例の御仁や多面体やらがまだ健在ならいろいろと御託並べるんでしょうけど、ダムがもし出来ていたら果たしてどうなっていたことか。

  • >>360

    八ッ場ダムが完成早々に大活躍したことや今回の大氾濫、一方で都心では地下神殿も大活躍だったそうで、たぶん今回の大災害は治水の在り方を大きく変えるかもしれません。

    一方で課題。
    まずはマスコミやら何やらがくどく伝えていた割に、被災現場を見に行こうとして被災する輩、暗闇になってから危険地を進んで被災した人たち、暗くなってから避難をしようとして被災した人たち、避難せずに被災した人たち。
    日本では亡くなった方を悪く言わないという伝統がありますけど、その捜索などにどれだけの手間と時間を要していることかを見れば、明らかに迷惑行為でしかありません。
    意味不明な義侠心とか正常性バイアスとかあるんでしょうけど、身内の面々が、迷惑だからやめろと言えるように事例を伝えていかないと、同じような被害はまだまだ出るんだろうなと。

    そして、5年前のバレンタインの日本を襲った豪雪の時にも思ったこととして、マスコミが伝える情報が非常に薄っぺら。
    例えば長野市穂保での千曲川決壊について、全国ニュースで流れるのは決壊現場、自衛隊ヘリでの救助、新幹線基地の浸水。まあ全国ニュースならそれで充分でしょうけど、呆れたことにローカルニュースでも同じレベルのことしか報じられていません。
    例えばローカルニュースであれば、地域のどこが浸水し、どこが通行止というような情報は最低限必要なのに、現地では警察や消防団が交通誘導をするも大混乱。長野市の一部、浸水したエリアの一部でも停電になっていますけど、それすら報じられない。だからボラへ行くにしても、どこを通って、何を持っていくかもわからずに現地へ行くことになります。
    特にNHK長野支局は何やってんだ。

    あともう一つ、大きな問題として長野市と佐久市では下水の終末処理場が浸水により1か所ずつ機能停止になりました。
    処理場が機能停止だから排水が滞り、処理場付近の浸水の処理もできないまま。さらにマンホールからも噴くので、浸水の中には少なからずの下水が混じっており、衛生上の問題もあります。
    長野のほうは県の管轄で、処理場では責任者が水没施設に丸二日取り残されてたという話も出ており、かなりお粗末な面も見えています。おまけにその処理場の管理業者は、田中時代に田中主導での下水道談合で名前が挙がった会社だそうで。
    まあ色々と、田中時代の遺物が表に出てきた災害でもあります。