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1月17日は6000人の犠牲者をだした、阪神淡路大震災から25年。
記憶はうすれゆくものの、当事者の記憶は鮮明。

「神様は乗り越えられない試練は与えない」と聖書はいう。
しかしあまりの不条理の記憶に、一生さいなまされることがある。

昭和20年4月、那覇警察署の伊敷さんは、署員の食糧と壕を確保するため、同僚と南部に向けて出発した。艦砲射撃を避けるために夜移動していたが、米軍の照明弾であたりが明るく照らし出され、近くで迫撃砲が爆発する様子や、死んでいる馬が見えた。そしてその近くに、30代くらいの女性が倒れていた。女性は死んでいたが、その女性の上で動く影が見えた。赤ちゃんだった。弱々しく手を動かし、母親の乳を探っていた。どうすることもできなかった。