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6月23日は、沖縄慰霊の日。米軍55万、日本軍10万が、島民をまきこみ3か月間死闘をくりひろげた。戦死者は米軍1万2千、日本軍6万5千、沖縄県民12万2千、県民の4人に1人が戦死。

米軍最初の上陸地は、慶良間列島。沖縄戦最初の集団自決の島です。渡嘉敷島の集団自決(犠牲者346人)では、皆狂ったようにかま、くわで暴れまわり親兄弟幼子の首をしめました。死にきれない島民を、少年数人がとどめをさしました。島民は、今でも XXに殺されたという複雑な感情をもっています。今は牧師となった少年が、時をへて帰島するドキュメンタリーをTVでやってました。

沖縄戦、特攻機1900機で散った英霊は2500柱。米艦船36隻沈没、米海軍戦死者4900。米海軍最悪の損害です。米軍捕虜収容所の扱いに感謝の捕虜も、朝日を背に突撃する特攻機には、涙をながしバンザイしました。

6月6日自決した太田海軍沖縄司令官は、海軍壕から参謀本部へ打電。「天皇陛下万歳」の文言はなく、ひたすら沖縄県民の献身と健闘を称えて います。電文の最後は下記の言葉でおわっています。

ー 沖縄県民斯く戦えり。  県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを