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>>1057

低学歴ほど漢文に拘るのは理解に苦しむ。

現在の学校教育における漢文が「日本語の解像度を上げる」という本来の目的に寄与しているかは甚だ疑問だ。

・入試パズル化: 授業や試験の多くが、句法の暗記やレ点の操作といった「テクニックの習得」に終始しており、現代文を論理的に読み解く力の向上には直結していない
・国語教師の雇用維持: 漢文が必須科目として残っている背景には、入試制度の慣性や、国語教師の仕事を確保するという制度的な都合も見え隠れする
・リソースの浪費: 限られた授業時間の中で、古びたルールを全員に強いることは、現代社会で真に求められるスキルの習得を妨げている側面がある

生成AI時代に求められる教育の転換
特に生成AIが普及した現代において、暗記や定型的な変換(訓読)はAIが最も得意とする。人間が注力すべきは「AIに代替可能な作業」ではなく、「現代文の読解・論理トレーニング」であるべき。
・批判的読解: 情報の真偽を確かめ、論理的な矛盾を見抜く力。
・論理構築: 自分の考えを構造化し、AIや他者へ正確に伝える「プロンプト力」としての言語化能力。ヨタの掲示板の連中に欠落しているw

漢文は、音楽や美術と同様に「文化的な嗜好品(教養)」として、選択科目にするのが妥当。全員に一律の苦行を強いるコストを払い続ける価値はない。伝統という名の慣性にしがみつくのではなく、浮いた時間を「現代を生き抜くための実戦的な国語力」の強化に充てることこそが、これからの教育のあるべき姿。

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