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日産自動車(株)【7201】の掲示板 2019/02/14〜2019/02/17

読んでみてくれ 日本人魂の源流は武家社会に発すると思う

<切腹>

武士道
 新渡戸稲造著
 奈良本辰也=訳・解説
    ―三笠書房―

 左近と内記という、それぞれ二十四歳と十七歳になる兄弟が父の仇を討つべく、家康を襲おうとした。しかし無念にも家康の陣屋に突入する前に捕らわれてしまった。家康は彼の命を狙った若者たちの勇敢さを讃え、彼らに名誉ある死を与えるように命じた。
 この刑の宣告は、兄弟の一族すべての男子に命ぜられたので、二人の若者の末弟であるわずか八歳の八磨も同じ運命であることをいいわたされた。そしてこの三名は処刑が行われることになっている寺へ引き立てられていった。その場に立ち会った医者がその一部始終を日記に残している。そこに次のような情景が書かれている。
 「最後の時を迎え、三人が一列に着席したとき、左近は末なる弟に向かい『八磨よりまず腹切られい。切損じなきよう見届けてくれよう』といった。幼い弟は答えて、いまだ『切腹』を見たことがないので、兄たちの作法を見て、そのあとに続きたい、と申し述べた。二人の兄は涙ながらに微笑んで『よくぞ申した。それでこそ我らが父の子なるぞ』といった。そこで二人の間に末弟八麿を座らせ、左近は自分の腹の左側に短刀を突き刺していった。
 『見よや八麿、会得せしか。あまりに深く掻くべからず。仰向けに倒れるがゆえに。前に俯伏せ、膝を崩すべからず』
 内記も同様に腹に刃を突き刺しながらいった。『目を刮と開けよや。さもなくば女の死顔に似たるぞ。切尖が腸に触るとも、力たわむとも、勇を鼓して引きまわせ。』と。八麿は二人の兄を交互に見た。二人が果てると、八麿は静かに上体を露わにして、両側から教えられた範に従って従容として死に就いた」 P155~157

              ***

武家社会の日本人の躾はきっちとしているね
わずか八歳でこれほどの修養と覚悟を身に付けさせる
--すごい--