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>>722

http://gokigen.org/2014/02/post-271.html
↑ここから引っ張ってきたんだね

背水の陣とは、現在一般には退路が無いので必死になって努力して、何でも成し遂げる感じの意味で使われていますが、本当はそうではありません。元々の語源は項羽と劉邦の戦いで、当初項羽軍に対して劣勢であった劉邦軍が、反転攻勢をかけて形成を逆転した、せいけいの戦い(井陘の戦い)が基になっています。

せいけいの戦いでは劉邦軍は戦上手の韓信率いる3万に対し、項羽軍は30万の大軍で、山がちな所に城があり、麓に平野と川が広がっている地域でした。劉邦軍は軍勢を3つの部隊にわけました。1つは川を渡り、川を背にして平野に陣を張る、文字通り「背水の陣」をとって項羽軍の大軍を城からおびき寄せる陽動部隊。2つ目は大軍が出払った隙を見計らって山伝いから城を攻略する、韓信が直接指揮する精鋭部隊。そして3つめは韓信の部隊に付き添いつつ、精鋭部隊が城の正門を攻略後すぐに大量の劉邦軍の軍旗を掲げて「大軍で城を陥落させた」ように見せかける部隊でした。

作戦は的中し、背水の陣を取った部隊に項羽軍が殺到します。劉邦軍は戦が弱かったので通常なら撤退するところですが、背後が川なので撤退できず、この時は必死になって逃げずに戦い抜き、時間を稼ぐことに成功しました。その間に精鋭部隊は城の正門を陥落させ、すぐさま大量の劉邦軍軍旗を門の上に掲げました。全面の敵に苦戦している項羽軍30万の軍勢は、背後の城の様子をみて「城が大軍で攻め込まれた」と判断して算を乱し、背水の陣で展開している劉邦軍の追撃を受けて総崩れとなり、劉邦軍は勝利を収めました。

背水の陣は、一般に云われる単なる精神的なスローガンでは断じて無く、敵を引きつけて拘束する陽動部隊と、別動の精鋭部隊と宣伝部隊の3つがセットになって互いに連携している「必勝を期す高度な作戦」であることを特に強調しておきたいです。



どう解釈するかは皆の自由ww
ただ、2018.7.17に「来月(2018.8)は桁(株価1000以上?)がかわる」と言っていた人間と同じ人間のツイートか?(笑)

4764 - SAMURAI&J PARTNERS(株) http://gokigen.org/2014/02/post-271.html ↑ここか