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9136(最新)
高齢者のeスポーツチーム 全国初、秋田の企業が設立へ
秋田市のサーバー管理会社「エスツー」は18日、コンピューターゲームで勝敗を競うeスポーツのシニアプロチームを立ち上げると発表した。
メンバーは全員が65歳以上で、同社によると高齢者のプロチームは全国初という。
チーム名は、狩猟で生計を立てるマタギにちなんだ「マタギスナイパーズ」。同社ホームページを通じ、8月末までに10人程度を募集する。
対象は秋田県内在住の高齢者で、ゲームの経験は問わない。青年チームによる指導を受け、人気ゲーム「フォートナイト」を使って操作方法に習熟。大会に参加するほか実況動画の配信による収入も視野に入れ、「稼げるチーム」を目指す。
eスポーツはスウェーデンなどで既にシニアプロチームが結成され、国際大会にも出場。日本国内でも高齢者の認知機能維持や世代間交流につながるとして注目を集めている。
同社の須藤晃平社長は「eスポーツによる健康増進を訴えるだけでなく、動画配信や海外チームと交流し、秋田の伝統や魅力を世界に発信したい」と話した。 -
9135
かかりつけの病院を辞めた看護師さんがNPOをやりたいと言っている。
その手伝いをしてほしいという話が舞い込んできた。
話を聞くとそのNPOも>>9132のような内容になりそうだ。
その人には自分がNPOをやりたいということも、資産のことも一切話していないのだが、税理士の勉強をしていることは話したので経営面のサポートをしてほしいようだ。
今後どうなるかはまだまだ流動的だが、思いがけず夢が実現できそうな話だし、頼りにされている以上は自分の全能力を捧げたい。
今はそういう思いだ。 -
9134
菅義偉首相は3日放送のニッポン放送ラジオ番組で、・・・新型コロナウイルス対応に関し「本当に国民には大変、不自由な思いをさせている」と陳謝した。
上記のヤフーニュースを見て、「コロナと不自由」について考えてみた。
コロナによって活動が制限される、だから不自由ということなのだろう。
だが、不自由は別にコロナに限った話ではない。
お金がないことも、老いることも、活動に制限が加わるので不自由である。
もっと言えば、空が飛べないことも、クレオパトラに会えないことも不自由である。
自由への欲求は無限であるが、このどうしようもない世界では誰しも制限を加えられながら不自由に生きねばならない。
つまり、自由とはその尺度の広がりの捉え方に他ならない。
自分は、コロナ社会によって不自由と感じたことはなく、むしろ自由度が増した感さえある。
お金とネットのおかげである。
行動制限はお金と思考によって代替できた。
これは市場においても同様だったようで、不自由を代替するために巣ごもりなどの需要が発掘された。
今後も何かしら代替物が生まれてきて、それによって社会にダイナミズムが生まれてくるとしたら、市場も活況となっていくのだろう。
今は、借金によって需要創出されてるだけなので、カンフル剤が切れたら市場は落ちこんでいくのだろう。
どっちに転ぶのか。 -
粉飾企業巡り調査不十分、みずほ証券に賠償責任 最高裁
半導体製造装置メーカー「エフオーアイ」(破産)の粉飾決算を巡り、上場時の主幹事だったみずほ証券を相手取って株主が損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が22日、最高裁であった。第3小法廷(宮崎裕子裁判長)は、みずほ証券の調査が不十分だったとして、同社の賠償責任を認めた。その上で損害額を算定するため審理を高裁に差し戻した。
企業の粉飾を巡り、上場に関わった証券会社の責任について最高裁が判断を示すのは初めて。証券各社の実務に一定の影響を及ぼすとみられる。
FOIの粉飾発覚はなんとシニアコミュニケーションより前の2009年。
10年以上かけてようやく最高裁の判断。なんとも遅すぎる。
損害額の算定はこれからなので、さらに年月が費やされる。
自分の訴訟の時は、シニア社と取締役だけを訴訟の相手方としたが、他に監査役、監査法人に加え、証券会社も加えるべきかどうかの検討はした。
個人の訴訟だったので最終的には実を取って絞り込んだが、それでも提訴から2年半近くかかった。
裁判を国民に身近なものとするには、審理の迅速化が必要不可欠に思う。 -
9132
誰も見てないと思うので、思いつきの夢をここに書いておく。
「障害者専門のコンサル」をやりたい。
シニアコミュニケーションのシニア向けを障害者向けにしたものを想定している。
障害者のライフプランや住まいのサポートを支援する。
これは自分がAFPや宅建の資格を持っていることからも着想を得ている。
税理士資格もあと1科目で有資格なので、箔付けの意味でも取っておきたい。
また、障害者のデータを集めて、自治体や福祉施設向けのコンサルをしてみたい。
ほぼ誰もやったことがなさそうなので、経験不足を補えるかもしれない。
他にも、障害者と商品・サービスを共同開発するなど、ほぼシニアコミュニケーションの事業を障害者向けにして踏襲する。
障害者専門のサイトの立ち上げもしてみたい。今の時代はスマホのアプリか。
そのためにITの勉強もしている。
組織、というか最初はほぼ1人で始めるだろうが、NPOの形態にしたい。
株式会社にすると利益追求しなくてはならず、障害者を食い物にしてると見られかねないからだ。
一番の問題は自分の気力・体力・精神的な問題である。お金と経験の問題より、この問題をなんとかしなければならない。投資と不動産で生計を立てれてるとはいえ、まともに働かないで10年以上たつ。こうなるとむしろ、何かするには一般の企業に勤めるよりも起業するしか道はないだろう。
もちろん現状のまま過ごすという道もある。最も楽で安全な道だ。
ただ、手が届くのならチャレンジしてみたいという思いはずっとあった。
チャレンジしないと後悔するかもしれない。
夢を実現するべく、問題を1つ1つ解決していこう。
まず、障害者でもある自分のコンサルを自分ですることから始めねばならない。
そうでないと説得力もないだろう。
人の夢は儚いものだろうか・・ -
最近ため息がよくでる。
ため息がでる理由は分かっている。遊んでいるからだ。パパ活などの遊びをしているからだ。これが全く楽しくない。
遊びが楽しくない理由も分かっている。遊びのスキルが無いからだ。遊ぶことに向いてないのだ。
自分は何かに没頭することに向いている。それはフワフワした遊びではなく、地に足のついた研究的なことだ。
思えば、税理士の勉強をしている時や、シニアコミュニケーションに投資して色んなことを調べているときは今よりはるかに楽しかった。
もしかしたら、若かったので将来を夢見ることの楽しさだったのかもしれない。
限界が見えた今は何をしても楽しくないのかもしれない。
それでも何かに没頭する楽しさに年齢は関係ない。それはシニアコミュニケーションから学んだことだ。
来年はそのことを確認する足掛かりとなる年にしたい。 -
9130
「表現の不自由展」に端を発して、表現の自由論争がツイッターなどでも盛んになっているが、人生を金額換算されてきた身としては、表現や論争についても金額で測定したくなってしまう。
ツイッターで自由闊達に議論が行われているのは、金銭的にはその表現がタダだからだろう。
これが有料になると自由な議論が行われなくなるはずである。
つまり、お金が規制となり「表現の不自由」が起こる。
そのせいもあってか、この件の論争でお金に関連した話はほとんど目にしない。
おそらくだが、各々に目の前に札束を積んで黙ってほしいと頼めば、彼らは公に表現しなくなるのではないか。少なくともツイッターにいるような表現の素人は。
自分も表現の素人なので、お金を積まれれば黙る。
具体的に金額換算すると、100万円ほどで自分が実名で公に主張したいことは無くなる(匿名での主張は全く意味合いが異なる)。
これは現在の資産状況も加味されてるので、世間一般的には10万円ほどだろう。
この自由に表現する金額換算を上げていくことが今後の人生の目標になっていくのかもしれない。
自由はお金で買うことが可能だし、不自由をお金で売ることも可能なはずだ(倫理を無視すれば)。
そして自由とは無限の可能性を秘めている。
即ちお金も無限の可能性を秘めている。
だからお金は素晴らしい。 -
来年はもっと本を読みたい。
そして自らも本を書くことを目標にしたい。
後半生の価値判断の思考は経済的から文化的へ、つまりお金から活字にシフトしていきたい。 -
今までの人生を振り返って、とても良かったと思えることは、自らの行動を促す価値判断の主要部分が金(即ち自由)だったことである。
そして、そのことはもっとも後悔されるべきことであろう。 -
久しぶりにシニアコムを覗いてみたら、9月1日付で運営会社が株式会社ヴァーナルへ移管されていたようだ。
株式会社シニアコム設立の経緯が、シニアコミュニケーションの全ての事業を脱法的に移管したもので、シニアコミュニケーションの破産手続きの過程で、ヴァーナルの関連会社がシニアコム株を取得したというものだった。
株の取得価格は確か1千万円で、1年ほど前に登記を見たときは増資していたようだが、今回の件もふまえると事業としてうまくいっていないものと思われる。 -
9125
人生におけるお金との関わり方について思考したことをメモ
順序立てて考えてみよう
まず、理想の自分をイメージする
そして、その理想の自分に近づくための道具として、お金をどう活用していけばいいか考えよう
ここで、理想の自分がイメージできないときは、気持ちいい自分、気分がいい自分をイメージしてみよう
あまり利己的すぎると世界が狭くなるので、利他の心を持つようにしよう -
9124
大塚家具が身売り報道により上がっている。
それを引き当てられたのは、たまたまなので「現時点において」運がよかったというだけのことだ。
ホールドし続けて倒産すれば元も子もなくなる。
大して思い入れがない銘柄だし、利益をどこまでも求めてもキリがないので、どこかで売却することになるのだが、そのことが「お金と人生」というテーマとリンクして思考がグルグル回っている。
この思考グルグルは今のところちょっと解けそうにないが、今回の大塚家具の件で引き起こされたことなので、中途半端に売らないでおこうとは思う。
最近、握力が弱くなってきていたので、大塚家具の株券は強めに握りしめていきたい。たとえ粉々に砕け散ったとしても。 -
9123
大塚家具をナンピンしてもーた。。
株をやる独身が株でリスクとらないでどうするという思いになったから
独身なぞ資産を残す必要がないんだから、生きるか死ぬかでよいのだ -
9122
大塚家具を417円で買ってみた
テクニカル的に売られすぎだし、売買高も膨らんでセリングクライマックス気味に見える
ファンダ的にもPBR0.45と上場廃止でもしたかのような割安ぶり
業績悪化も相当程度織り込んでるとみる
経営陣や創業者によるMBOの期待もある
景気動向次第でもあるが長期保有してもいい
ただしナンピンは死ぬおそれがあるのでダメ -
9121
kei***** 買いたい 2018年2月9日 15:30
ダウ1032ドル安←引けにかけ下げる
日経508円安←引けにかけ戻す
直感としては底
神戸鋼売ったりして銘柄入れ替えしつつリスクオン継続
ちなみにゼンショーも上げてたので売った
優待目的で保有してたが、牛丼1杯500円として530杯食える利益がでてたので、いくら独身でもそんなには食わないだろうと思った
まあ、また下げるときがあったら買いたい -
9120
たまたまトイレに起きてテレビをつけたら、ダウが1000ドル安から1500ドル安まで一気に落ちていってちびりそうになった。
こういうときはパニックに巻き込まれないようにしたい。
深呼吸して空を見るんだ。
そしてあらゆるものはちっぽけな存在だということを確認するんだ。
前日までの下げの理由はアメリカの雇用統計の予想外の好調により、金利が上昇し、利上げペースが早まりそうだからということだ。
ただちに売るような理由ではないが、高値圏にあることも留意したい。
銀行口座から出金して株を大量に買いたい気持ちをグッとおさえてしばらくは様子を見たい。 -
9119
ダウ665ドル安。。
金曜に買い増したのは失敗だったか。
やはり相場のセンスがない。
あるのは株式を握りしめる握力のみ。 -
9118
決算微妙な企業が多くて全体的に下落基調だけど、指標を見るとPERなんかも低い。
日銀の政策変更もないし、ここは我慢してホールドしたい。
日経のチャート見ると来週あたりからまた上げる予感もする。 -
シニアコミュニケーションの創業社長である山崎伸治氏は現在、多くの会社の社長を務めているようだ。
彼を恨んだことは今も、昔もない。
その証拠に彼を刑事告訴はしなかった。
民事訴訟をしたのはただ単に法に従えばお金が得られたため、そしてシニアコミュニケーションという会社をもっとよく知るためである。
山崎氏と自分とは、格も器も段違いだ。そして何より彼には行動力がある。
そんな彼に「シニアビジネス」という夢を託したのである。
そしてそれが運悪く失敗しただけのことである。
自分もシニアビジネスを・・などと大それたことを思いもしたが、どうやら自分の力量では無理のようだ。
自分にできることは何なのか・・
「分相応」ということを念頭に入れて、自分の資産額を横目に見ながら考える・・来る年はそんな年にしたい。
そして分相応に行動できれば、まあよかったといつか思える年になるのではなかろうか。 -
現状の経済情勢と生活状況そして自分の脳が正常に稼働している限り、一生安泰に過ごせる段階にいると思うが、向上心をなくしたら自分の脳が破壊されてしまう気がする。
だから向上心は持ち続けたい。
それがただ資産を増やすということなのか、社会活動をするということなのかはまだ見いだせない。
いかんせん社会活動はめんどくさい。人間がめんどくさいからだ。
システム化して社会活動したいところだが、それはただ資産を増やすということと脳に及ぼす影響は変わらないだろう。
元来、資産家はシステム化して資産を増やす人種だ。それで成立してきたのだから自分もそれを目指せばいいのかもしれない。
ただ、自分はこの世に子孫を残す気は毛頭ないし、その制御もできている。それは社会的、生物的に劣等とされるだろう。そこらへんが自分が社会活動をためらわせる一因になってるかもしれない。そして、ガツガツと資産を増やす気がおきないのもそのせいかもしれない。つまり、子孫は気力を導き出すのだろう。
遊んで暮らすことは自分の性に合わないし、第一、一生安泰に過ごせなくおそれがある。
現状の生活における満足度は高い。社会的活動をしていないので社会的には落伍者である。
向上心のもっていく先はどこになるだろう。ちょっと理想を追い求めすぎている気がする。
自分の一番欲しかったもの、それは「自由」である。それは手に入れることができた。
社会からの「承認」はどうだろう。それはあまりどうでもいいと思ってきた。だから現状がある。
自由と承認は相反するものなのかもしれない。自分にとっては。
この「自由」の定義を自分の中でちょっと変えてやることが解決の糸口になるかもしれない。
つまり自由の範囲を内から外へ広げるということである。そこが事業を始めたいという理由にもなっているのだろう。
これはエネルギーのいることだが、それがすなわち「向上心」とよばれるものではないのか。
めんどくさいというのは現状のルーティンから外れるからであって、ルーティン化してしまえばそれも解決するだろう。
問題は人間がめんどくさい、つまり人間が嫌いということである。
社会活動は現状では人間のつきあいとは切っても切り離せない。
そこはAIに代表されるようなテクノロジーでなんとか解決できないか。
AIを使うにも金がいる。金はありすぎて困るような性格のものではない。
お金は大事。
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