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単刀直入に質問です。 アダム・スミスとマルクスはそれぞれ「資本主義が機能するのか」という問いに対してどのような考えを述べていたのでしょうか。

単刀直入に質問です。 アダム・スミスとマルクスはそれぞれ「資本主義が機能するのか」という問いに対してどのような考えを述べていたのでしょうか。

回答数:4

閲覧数:897

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質問日:2017/07/23

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ベストアンサーに選ばれた回答

スミスの時代に「資本主義」という概念はなかったのではないでしょうか?

回答日:2017/07/23

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3

  • アダム・スミス 「ほっとけ。そうすりゃうまくいく」 マルクス 「そんなんじゃだめだー立ち上がれ労働者諸君!」 ケインズ 「えー、お上にお金使ってもらおうよ。。」

    回答日:2017/07/29

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  • スミスもマルクスも「資本主義」という言葉を 使っていないんですよね。。。。。 まあ70年代以降の『資本論』では 普通に「資本主義」という訳語が使われていますけれど、 実際には「資本主義」という言葉を用いたのは W. ゾンバルトと言われており、マルクスより やや後の時代の人です。マルクス自身は 「資本(家)的生産(資本(家)の生産、 資本(家)による生産)」という 言い方をしていた。これは、『資本論』という本を 実際読んでみるとよくわかることで、 他の生産様式に比べ、資本家的生産のもとでは 生産が、直接労働者による生産という「形態」ではなく、 「資本(家)の生産」という「形態」をとって 現れてくる――そのように 人間の意識に表象されるようになる――と、 述べているんです。単に、「資本家が労働者を 搾取している」ということではなく――搾取なんて ことはいつの時代にもある――、生産活動の 主体が資本(家)になってしまい、労働者は、 その資本(家)の生産活動のため、一時的に労働手段を 資本家に売却しているに過ぎない、と 人間が考えるようになる、そうした 生産システムのことを意味しているんです。『資本論』では 案外、「現実はこうだ」という言い方は少ないんです。 それよりも、「このようなものとして現れてくる」という言い回しが 非常に多い。「このようなものとして」表象されたものを 合理的体系的に整理したものが――『資本論』ではなくて――、 「古典派経済学」だ、というのが マルクスの主張でした。マルクスの『資本論』を含む 「経済学批判」というのは、いわば 「頭で立っている」(ホントはこれはマルクスが ヘーゲル哲学を批判した時の言葉なんですけど)古典派経済学を 「足で立たせる」ことを 目指しただけだ、本質的なものはすべてすでに 古典派経済学で解明されていた、ただそれは ひっくり返っていたので、それを元に戻すのが 自分たちの仕事だ、というのが マルクスやエンゲルスの、自分たちの仕事に対する 評価です。) まあ、それはそれとして話を元に戻すと、 スミスが論争相手として目していたのは ジェームス・スチュアート卿だといわれています。 スミスの『富国論』より10年前に出版された 『政治経済学原理』への批判だったとのことです。 スチュアートの『政治経済学原理』では 国王が貨幣を導入するまで 商業・分業は起こりません。国王が 奢侈支出を行うことで 工業が栄え、それによって農業製品に対する需要が増え、 それにより国王の収入が増え、それによって 再び工業が栄える、こうした形で 国富が増してゆきます。 スミスの場合、『富国論』では むしろ交換は人間の本能であり、 交換が進むことによって社会的分業が進む。 人間の生産力を富ませるメカニズムは 分業にこそある。だから交換がこれ以上 進まないという状態にいきついてしまうと それ以上分業も深めることが出来なくなり、 社会は定常化する。だから分業を進めるためには 国内はもとより海外との取引も 押し進めなければならないことになる。 分業には工場内の分業と 社会的分業があります。 工場内の分業の説明では 有名なピンの製造工程の話が出てきますが ご質問に関わるのはむしろ 社会的分業です。 さて、スミスは交換や分業を人間の 本能と位置づけましたけれど、 同時にこれが実行可能になるのは 交換によって利益を得なければなりません。 しかし交換によってどうすれば利益を得られるのか。 「パン屋が成立するのはパンを 欲する人がいるからだ」というわけで、 「他人が望むこと」をすることを通じてのみ 人間は社会的分業によって 利益を得ることができる、と考えていたわけです。 だから、各自が自己利益を追及して 自由に行動することで世の中の富を 増すことができる、と考えたわけです。 ただし、こうした形で皆が利益を上げることができるのは、 人間には「共感」があるからだ、とされている点は 注意が必要です。 「共感」があるからこそ、 他人が欲することを想像でき、それによって 自分がその他人によって欲されている役割を果たすことで 利益を出せる、ということです。しかしながら 「共感」がある限り、おのずと「自分が 儲かりさえすればよい」とする考え方には 歯止めがかかります。自分のもうけを重視するあまり 社会を危機に陥れるような行為には及ぶことは ありません。 勿論、悪意ある人というのは常にいるわけで、 犯罪者を中心とするそうした人間たちを取り締まるため、 政府は必要とされます。(夜警国家観) しかし、それと同時に、 スミス自身、他の書物では 人間が自由に取引を行えば 悪意のある取引の方が優勢になってしまい、 社会が害悪に染まってしまう、ともしています。 ですが「悪意ある人間」とは何ものでしょう。 結局のところ、「共感」を持たず 「自分だけ儲かりさえすればよい」と考える 人たちのことでしょう。 つまり、スミスの自由主義思想というのは イギリス流の保守思想に裏付けられたものなんですよね。 人間は長年培われた共感を持っている。 こうした共感がある限り、 自由競争は人間を幸福に導くわけです。 (ただしそれでも分業がこれ以上進まなくなれば 定常状態に陥る。) 共感がなかったら、 或いは自由競争の結果、共感を持っている人たちが 全て市場から排除され、共感が失われてしまえば 自由市場はかえって悪いものになりかねない。 おまけにスミスの自由市場観というのは きわめて厳しい規律に基づくものです。 とりわけ金融については 完全な真正手形学説を主張する一方で、 100%準備貨幣論も主張しています。 今日的視点からはとてもではないが、実行不可能な 厳しい規制を、自由市場を守るためと称して 主張してもいたわけです。(あっちこっちで ちょこちょこっと、 いろいろなことを言っているもんだから、 「体系無き体系」なんて言い方されることも あります。) 今日、このような主張をする人が論壇に現れたら 決して「市場自由主義者」の一人とは 受け取ってもらえないんじゃないでしょうかね。。。 マルクスの方は、議論の立て方が全然違います。 資本制経済のもとでは 生産の主体は個々の生産者ではなく「資本」に移る。 資本とは「価値の姿態変換の運動」、あるいは 姿態変換する価値。つまり、 まずは一定量の貨幣として現れた資本(貨幣資本G)は 次に一塊の商品(原材料)・労働力(商品資本W)に 姿を変え(この調達が市場で行われる)、 そして生産過程(Pm)を経ると 一塊の別の商品(製品)(商品資本W')に 変わる。そしてそれが市場で販売されると 再び貨幣の姿に戻る。しかしそれは最初のGより 多い(G') 。資本の目的は、この貨幣の増殖分 (G' - G = ⊿G = g)を獲得すること。 このG'(全てではない)は、再び貨幣資本として 次の運動の出発点となる。これが資本。生産は この資本の、より多くのGを求める自律活動の結果、 一つの手段として行われるに過ぎない。 その中で資本家は、ただ、 資本の「人格的表現」に過ぎなくなる。 労働者もまた、こうした資本の運動の一部として 現れてくる。労働者は、もはや自立した生産者の 一人ではなく、ただ、資本家に対して労働力商品 (一定時間、指示された行為を行う 潜在的可能性)を販売するだけの存在と表象され、 彼・彼女の労働行為の産物は、 すべて資本家の所有物として 現れてくる。そして彼らは賃金を受け取ると その賃金を市場で支出することで 資本のW' - G' の運動を支えることになる。 この最後のW' - G' は、商品資本から貨幣資本への 「命がけの飛躍」であり、これが 定期的にうまくいかなくなることから10年周期恐慌が 発生することになる。なぜ、 10年ごとに、好況・過熱の直後に突如として、 恐慌が発生するのか。これがマルクスの 『資本論』のテーマの一つだったのですが、 残念ながら、マルクス自身の明確な結論は示されることなく 終わっている。(いわゆる「可能性恐慌」と言われるものが 示されているにすぎない。) こうして労働者の直接的有用労働行為の産物が 資本家の所有物という形態で現れてくることで、 資本制経済固有の貧困問題(後の言葉で「豊かさの中の 貧困」)が発生する。貧困や破産、恐慌は 市場メカニズム(自由で自然な取引と表象される)の 結果なのであり、 不幸な結果は、市場経済(その背後にあるのが 資本による生産)における生産の無政府性の 結果ではなく、個人の自己責任として表象されるようになる。 恐慌、破産を通じて、資本の集積と集中が推す進められる。 競争の結果、生産性を高める資本が生き残り、 この集中と集積の核をなすようになる。 集中と集積が進み、生産が大規模化すると 資本設備の更新が長期化し、費用が巨額化する。 こうした遊休資金が蓄積され、 これが一時的の他の資本の必要資金を賄うための 資源とされるようになると、 今度は「利子生み資本」が形成される。 利子生み資本は自ら一覧払手形(紙幣)を発行することで 資本の巨大化を一層推し進める。個別資本は その出発点において必ずしも現物金商品としての Gを必要としなくなり、架空資本が登場する。 資本の集中と集積が進み 大規模化が押し進められると 「資本の有機的構成」が高度化し、 「剰余価値率一定」のもとでは 「利潤率が低下」し、 それが革命を引き起こす(ただし 「反対に作用する諸要因」もあり こうした動きは一方方向に進むものではない)。 というわけで、 スミスもマルクスも 言っていることは正反対の様でありながら、 長期的結果は 似たようなものです。 どちらも、資本制はそれ自体の成功(巨大化)の結果、 停滞に陥る、あるいは、革命で崩壊する。

    回答日:2017/07/24

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  • アダム・スミスは「国富論」で、個人が私利私欲で身勝手に商品を買っていれば需要と供給は均衡する、神の見えざる手であたかも均衡させているように、と言っています。 つまり、国家が経済に介入することに反対しています。 それが自由主義経済の思想です。 マルクスは商品と商品を交換して利潤をあげるのが、資本主義だが、その利潤は低下する傾向がある、といって「利潤率低減の法則」を唱えています。 つまり、資本主義を放置していると、いずれ資本主義は滅びる運命にある、と言いました。 そしてその結果、社会主義に行くより仕方がなくなる、と。

    回答日:2017/07/24

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